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人間の意識は紀元前3000年前に生まれた!?意識を巡る壮大な旅

意識とは、いったい何でしょうか。

私たちは普段、自分自身に意識があることを意識していません。
しかし意識は、人間に備わっているものであり、”自分自身が存在する”ことを理解するために欠かせないものだということは、おぼろげながら理解できます。

 
 

意識って、脳の中にあるの?自分自身の思考のこと?
っていうか、人間は最初から意識を持ってたの?

意識はなぜ、いつどこで生まれたのか。

そんな、聞いてるだけで頭がこんがらがってきそうな疑問に挑んだ心理学者がいます。
その人は、ジュリアン・ジェインズ。

彼が生み出した仮説は、「人間は紀元前3000年前まで意識を持っておらず、代わりに神の声を聞いてその指示に従って行動していた。

という突拍子もない仮説でした。

本日読んだ本は、「神々の沈黙」。人間の意識と存在を巡る、とてつもない思考と想像の書です。

   

意識とは何か

広辞苑で「意識」という単語を調べると、以下のような説明が載っています。

①認識し、思考する心の働き。感覚的知覚に対して、純粋に内面的な精神活動。第六識。
②今していることが自分で分かっている状態。知識・感情・意志などあらゆる働きを含み、それらの根底にあるもの。

広辞苑無料検索「意識」より抜粋

なるほどわからん!!

まあなんとなく読み取ると、「意識=感情や知識を用いた、自分自身の精神活動のこと」と言い換えられるかもしれません。

長い間、西洋では「意識」は人間にしか存在しておらず、人間と動物を分けるモノだと考えられてきました。
近年では、動物にも意識が存在していることを示す研究や論文が発表されています。

しかし、それでも人間と動物が違う点は、「自分自身に意識があることを知覚できているか否か」という点ではないでしょうか。

   

意識は、生きるために必要のないものである

本書の中で、著者は「意識は生きるために必要のないものである」という前提に立っています。

意識は、学習やスポーツ、思考、創造にとって不要であり、その邪魔になることさえあるのです。

私たちは普段生きている中で、自分に意識があることを意識しません。
朝起きて、着替えて、朝食を食べて、歯を磨いて・・といった一連の行動を、意識的に行う人は少ないでしょう。

スポーツで好成績をおさめた選手のインタビューを聞くと、選手が試合中の様子を、「ゾーンに入った」と表現することがあります。
プレイ中に手や足をどう動かすか、意識的に考えることはありません。

思考を例にとって考えてみましょう。

有名な数学者に、アンリ・ポアンカレという人がいます。彼は、「ずっと考えていた問題の重要なヒントを、馬車のステップに足を掛けた瞬間、思いついた」というエピソードが有名です。
観光中に馬車に乗ろうとした出来事であり、その瞬間が訪れるまで、問題のことは意識になかったと語っています。

好パフォーマンスを生み出した瞬間を振り返るとき、私たちは往々にして「意識」という枷を離れています

物事を意識するとうまくいかないことは、誰しも体験したことがあるでしょう。

意識が生きるために不要だとしても、人生の中で喜びを感じるために、意識は不可欠なものです。
意識が存在している理由は、人間がより楽しみを得るためかもしれません。

Kada
Kada

哲学的過ぎて頭がこんがらがってくる!!!

大丈夫です。私も読み進めながら理解が追いつくのにかなりの時間を要しました。
ってか、理解できなさ過ぎて読みながら2回ぐらい寝落ちしました。

しかし、ここで重要なのが、「意識は生きるために必要ではない」という点です。
この点を掘り下げてみると、人類は意識を持たずに生きていた時代があったのではないかという仮説が浮かびあがってきます。

   

ホメロスのイーリアス。登場人物の心情が登場しない物語

この仮説から、著者のジュリアンは「人間は紀元前3000年前まで意識を持っておらず、代わりに神の声を聴いていた」という考察をしました。

古代人には意識も「私」という概念もなかった。

これを、二分心仮説と言います。

 
 

どうしてそうなった。

と言いたくなりますが、ジュリアンがそう考えるに至った根拠があります。
根拠の一つとなるのは「イーリアス」と呼ばれる叙事詩です。

イーリアスは、人類が生み出した最古の文学作品とされています。

ホメロスというギリシャの詩人が成立させたとされる、ギリシャの神々と英雄アキレウスの冒険譚を描いた詩作品です。

さて、この「イーリアス」には、奇妙な点があります。

それは、登場する人間たちの「心情」を表す言葉が出てこないことです。

英雄アキレウスとギリシャの神々、または神々同士のやり取りが中心となっていますが、そこに書かれているのは、行動に関する内容だけです。怒ったり、笑ったり、泣いたりといった感情表現はなく、ひたすら行動のみが列挙されます。

英雄アキレウス(人間)は、自発的に行動をすることはなく、ギリシャの神々からの神託を受けて行動します。

これはまるで、フロイトの「自我」と「超自我」の関係のようです。

また、イーリアスは紀元前8世紀頃に成立したとされていますが、正確な成立時期は判明しておらず、複数の人間が物語を加えて口頭で語り継いだと予測されています。

イーリアスの中でも、後期に成立したと思われる物語では、登場人物の感情がきちんと語られているようです。

イーリアスの後に成立したとされる、ソクラテス、プラトンといった哲学者たちの著作では存在している心情表現が、イーリアスではぽっかりと無くなってしまう。

この違和感に目をつけて、ジュリアンが考案したのが「二分心理論」です。

二分心理論~古代人と現代人の脳の構造は違っていた?

現代の私たちは、物事を考えるときに左脳の言語中枢を用いて思考します。

左脳には、ウェルニッケ野・ブローカー野といった、言語・思考にまつわる部位があり、この部分が損傷すると、理解力が低下したり、発語ができなくなったりするなど、意識の働きに大きな影響が出ます。

しかし、右脳にはこういった機能はありません。

運動をつかさどる脳の機能は、左脳と右脳に相対的に配置されています。
しかし、意識に関わる脳機能は左脳にしかないのです。

このことから、長らく、人間に必要なのは左脳の機能だけで、右脳の機能は必要性が低いと考えられていました。

しかし、この右脳の機能を検証するためにある実験がなされます。
右脳に微弱な電気刺激を与えることで、反応を観察するというものです。

その結果、参加者の大部分が「幻聴」「幻覚」といった本来存在しないものを訴えました。

右脳が「幻覚」「幻聴」といった想像(あるいは妄想)の機能を司るとすると、現代人は進化の過程で、不要になった右脳の機能を捨て去ったという面白い仮説が浮かび上がります。

そこでジュリアンが考案したのは、二分心という考え方です。

二分心では、古代人の脳は、左脳と右脳をつなぐ「前交連」があったと考えます。

前交連は言語中枢のウェルニッケ野と、右脳の幻聴を生じる領域とを繋いでいました。古代人は、自意識を司る左脳の機能は弱かったため、右脳の幻聴を今よりもずっと多く聴いていたのです。

古代人は、右脳が生み出す幻聴を「神」ないしは「従属するべきもの」であると考え、幻聴の命令に従って行動します。
それが、人間が社会的な協力関係を築き、文明社会の成立を後押しすることになりました

ジュリアンは、これが各地の人間社会で「神」「宗教」が発展した理由だと考えています。

Kada
Kada

地球上の多くの場所で文明が生まれたにも関わらず、「神」や「宗教」と関係することなく発展した人間の文明はありません。謎です。

そして、文明社会が発達して人間が数を増やし、文字の発達や戦争、民族移動といったイベントによって二分心は衰退しました。

それは、人間が社会を構築することで、生命活動に害が及ぶことが少なくなり、神の声を必要としなくなったからだと考えられています。

従わざるをえない声の存在がまずあってこそ、心が意識を持つ段階に到達しうるのだ。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡 ジュリアン・ジェインズ著 p104より抜粋

まとめると、以下のようになります。

・人間が意識を始めて手にしたのは、紀元前3000年前

・それ以前の古代人は、自分自身の考え(意識)と神の声(幻聴)とを併せ持って生活する、二分心の状態で生活していた

・古代人は、意思決定にまつわるストレスを「幻聴」の形で認識し、それを「神の声」と誤認。様々な宗教や文明を作った。

・結果として、人間による社会統制が進むこととなった。

いや、普通こんな発想出てこねえよ。なんだこの人(ほめてる)。

ブログで要点だけかいつまんで説明すると「そんなわけねえだろwww」ってなりそうですが、本書では二分心仮説を裏付ける豊富な事例が展開されており、信ぴょう性も感じられます。

何よりも、ジュリアンが語る歴史の物語は、非常に面白くてワクワクします。

    

沈黙する神々。幻聴を捨てた人類は何を手にしたのか

現代では、幻聴が聞こえる人はごくごくわずかです。
(二分心の名残りとして、統合失調症などの精神病が残っているけれど)

幻聴という形でなくとも、私たちは自分自身の力でものごとを考え、行動できるようになりました。

幻聴の替わりに、人間が手に入れたものは何なのでしょうか?
ジュリアンは、神々の声に代わって、人間は「罪悪感」「恐怖」「恥」「性」の概念を手にしたと語っています。

Kada
Kada

・・・これ必要か?

とも思いますが、日々の生活の中で悲しんだり、不安になったりするからこそ、その後の喜びを思い切り享受することができます。

意識が登場することにより、「認知力が爆発的に向上し」、情動から感情が生まれる。
意識は、我々が生活の中で喜びや楽しみを得ることができる理由のひとつではないでしょうか。

    

ちなみに、本書では学術的根拠のあるものはほとんど出てきません。仮説を裏付ける根拠も、ジュリアン自身の想像が主になっている箇所が多いです。

正しい根拠を示す本というよりも、ジュリアン・ジェインズ自身の思考の書です。

しかし、本書を読み進めると、古代の人間が手にすることができなかった「感情」を手にしている現代人が、昔よりもずっと楽しい生活を送れているだろうなあと感じます。
統合失調症が、二分心へのノスタルジアであるという仮説も非常に面白い。

本書は、「意識とは何か、いつ生まれたのか」という途方もない問題から出立し、古代人の脳の構造と、人間の文明が如何に発達したのかを巡る仮説を、壮大なスケールでまとめ上げています。

意識をめぐる、壮大な旅ができる一冊です。

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