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「ただ、居る」だけはつらいこと!?精神科デイケアの不思議な日常

自分自身を月の住民だと認識している人。
新聞の同じページをひたすら読み続ける人。
ヤクザに追われていると信じ、デイケアのスタッフをヤクザの構成員だと思い込んだ人。

 
 

えっ・・・なんかやばい人??

これは本日紹介する本に登場する、沖縄の精神科デイケア施設にいた患者さんたちです。

彼ら(彼女ら)は様々な精神の病気を患い、外の社会に「居る」ことが難しくなってしまいました。

そんな彼らの居場所を作り、安心して過ごせるような環境を作るのがデイケアのスタッフたちです。

本日読んだ本は、「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書(東畑開人)」。
沖縄のデイケア施設に就職した若き臨床心理士の日常と、ケアとセラピーをめぐる問題を描く学術書です。

学術書・・・にしてはやたら笑えるし、面白いけど、間違いなく学術書だと思います。

   

ただ、居る、だけが敷き詰められた不思議の国ー精神科デイケアの世界

本書の舞台は、沖縄にある「居場所型デイケア」と呼ばれる施設です。

冒頭で紹介したのは、このデイケア施設に通うメンバーのごく一部。
彼らの持つ疾患は様々ですが、多くは「統合失調症」と呼ばれるものです。

Kada
Kada

簡単に言うと、何もないのに幻聴が聞こえたり、行動意欲を失ってしまう病気のことだね。

「居るのはつらいよ」は、京大卒の臨床心理士である著者の東畑開人さんが、実際に沖縄のデイケア施設で体験した内容をもとに書かれています。

さて、セラピーに憧れてデイケア施設のスタッフとして就職した東畑さんでしたが、そこで行われたことは

施設の中で、ほとんどの時間を朝から夕方まで座っている

だけ。

午前中は外来でカウンセリングをしますが、それ以外の時間は

ただ、居る。だけ。

日によっては、トランプやジェンガなどのテーブルゲームや、野球・バレーなどのスポーツをする日もある・・・。

そう聞くと、ほとんどの読者は

Kada
Kada

そんなんでいいのか!?!?!?

と思うはずです。はい、私もそうでした。

しかしながら、精神科デイケアにいる人々は、そもそも「社会に居ること」ができなくなってしまった人々だと本書で語られています。

四六時中聞こえる幻聴や、自分の無力感に悩み、生活に問題がある人達がここにやってくる。

入所しているメンバーに人達に必要なのは、彼らのニーズを満たして、「安心して、ただ、居る」ことができる空間を作ることなのです。

そうやって少しずつ「自分が居ること」「居てもいいこと」を自覚できると、メンバー同士のつながりができたり、メンバー同士で互いをケアしあったりすることに繋がります。

  

デイケアを取り巻く環境の変化。「ただ、居る」ことは悪いこと?

デイケアの中で、著者の東畑さんはケアの重要性に気づきます。

しかし同時に、デイケア施設を取り巻く環境によって、ケアが損なわれつつあることに悩むことになりました。

デイケアは、お金になります。
なぜならば、デイケアでメンバーが過ごすと、その人数や時間に応じて国からお金が支払われるからです(診療報酬といいます)。

つまり、デイケアは患者の居場所を支える施設でありながら、同時に病院の経営の道具にもなりえます。

それを悪用して、患者がデイケアに居続けることを強制するクリニックが現れたこともあったようです。

Kada
Kada

ひどすぎる!!許せねえよ・・・。

    

デイケア自体も滅びの道を進んでおり、3年以上利用している患者が週3日以上通う場合は、国からのお金が減らされることが決定しました。

理由は、日本の医療費がひっ迫しているためです。

   

本書の中では、社会復帰を果たした人もいれば、他のデイケアに転院することになった人もいました。
いずれにせよ、人が「ただ、居る」ことに安心感を得るには時間が必要です。
それにどれだけの時間が必要なのかは、他者が決めることはできません。

それなのに、「ただ、居る」ことが認められないとなると、デイケアの原理そのものを揺るがします。

    

私たち人間は資本主義の下に暮らしていますが、市場の原理に当てはめれば、人間そのものもお金を生み出す資本です。

「人はみな成長し、社会で活動しなければいけない」という考えは、逆に言えば「生産性のない人間の価値は少ない」という意味にもとらえられます。

私は本書を読んで、「ただ、居る」だけの精神科デイケアのメンバーたちに価値がないとは思えなくなりました。

何もせずにただ居るだけの時間で、スタッフとメンバーが、あるいはメンバー同士がケアしあい、その相互作用が人を癒す。

生産性から外れて、人間がただそこに存在していてもいいと思えるような場所は、社会にとっても重要な意味合いを持っていると思うのです。

   

自己嫌悪の原因は、市場の原理を守ろうとする自分自身かもしれない

    

子どものころから、自分自身のことが嫌いで仕方がないことに悩んでいました。
過去を突然思い出して、何時間も自分を責めたり、失敗が怖くて新しいことを始められなかったり。

本書を読んで思ったことは、私自身の自己嫌悪にも、市場の原理が強く働いているのではないか、ということです。

ややこしいけど!うまく説明できないんだけど!!

     

自己嫌悪の根底にあるのは、

Kada
Kada

成長しなきゃ!!次はもっとうまくやらなきゃ!!

という考えだと思います。

良くありたい、社会の中で有能な自分でありたい。

そう強く思えば思うほど、自分の意図していた結果と違う結果になった時、自分を強く責めてしまいます。

    

よくインターネットとかで自己嫌悪に陥った時のアドバイスを読むと、「自分を好きになりましょう」「ありのままの自分を認めましょう」みたいな、なんかすごく抽象的で良くわからない内容を提示されることがあります。

Kada
Kada

それができたら苦労しねーよ!!

成長しない自分、何もできない自分を好きになんかなれない。

そんなふうに、自分自身の価値を生産性で推し量ると、自分の存在価値を認めるのはますます難しくなります

   

本書に登場するメンバーたちは、デイケアの環境に安心感を覚え、「ただ、居る」ことができるようになり、そこに人との関わりが生まれます。

言い換えると、デイケアという環境に「依存できるようになった」ともいえるでしょう。

自立とは、依存先を増やすこと

って昔何かの本で読んだと思うのですが・・・(何の本だっけなあ)。

自立と依存は正反対に見えて、その実深いところで繋がっています

それが無いと生活が送れない!!というぐらい執着するのは行き過ぎですが、社会の中で生きるためには、自分が安心して身を任せられる場所が沢山あるほうが望ましいのです。

力不足である自分を認められない人は、

依存できる場所=自分の力を発揮できる場所

と定義してしまいがちですが、そうすると、どんどんしんどくなる

「ただ、居る」ことを肯定することは非常に難しく、生産性のない無意味な行動に見えます。
それでも、世間の価値判断から離れて自分を見ることは、非常に重要ではないでしょうか。

「居るのはつらいよ」に登場する、精神科デイケアのメンバーたちを見ていると、そう思わずにはいられません。

    

おわりに

というわけで、「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書 (東畑開人)」を読んで思ったことを書きなぐりましたが、この本はかなり私に刺さりました。

沖縄の精神科デイケアの日常を描いていますが、デイケアがいかに不思議の国なのかが良くわかりました。
語り口は軽妙だし、ところどころ読者を笑わせるような個所もあって、読み物として面白い。

でも、最後までよくよく読んでみると、本書で書かれているのはデイケアをめぐる諸問題と、人間の根源的な価値とは何かを問う物語だと感じます。

何もせず、ただ居続けることはつらい。でも、人の価値を生産性だけで測る社会は、もっとつらい。

不登校気味な人とか、仕事場で過ごすのが辛い人とか、全ての「自分の居場所」に悩む人に刺さる一冊だと思います。

    

この本もおすすめ!

セラピスト(最相葉月)

この本が「ケア」に重点を当てた本だとすると、こちらは「セラピー」に重点を当てた一冊。
両方読むと、精神療法の奥深さと複雑さにますます興味が湧きます。

箱庭療法で癒される。カウンセリングの現場で起こっていることとは?

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